東京の三毛猫です。街と自分と、色々考え中。
 スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


 三毛猫の哲学
2010年02月21日 (日) | 編集 |


ちょいとばかり、主観と客観について考えていた。

「可愛い」ってのは、勿論「美形」っていう客観的な部分が大きいのだが、ブサイクであっても「可愛い」と感じることもある。

赤ん坊が「可愛い」のは、無防備でナンの能力もないから、周りの大人に保護して貰うわけで、そりゃ犬でも猫でも同じく。
猛獣の世界でも、「子供の可愛さ」は排除されることが基本的にはないらしい。


これを逆手にとって、大人になってもやっちゃうのが、通称「ぶりっこ」で、「天然」キャラなんてのも、「保護してやらなきゃ」本能をくすぐりたいんだろうが、ヴィジュアルが付いてこない場合が多くて「痛い」


もっとも何を「可愛い」と思うかなんて、「余計なお世話」で、十人十色・百人百色だから面白い。アル意味、主観バリバリの感情。


「何が好きか」、「何に魅力を覚えるか」
DNAの中の何が作用しているんだろうね?




それにしてもだなあ、世の中「上から目線」が多いのは何故?

大した「能力」も「実力」も「実績」もないのに、「語る」

「大風呂敷」広げるのは、自分がそれに追いつくための方策としては悪くない。
尻つぼみの「大言壮語」も面白いけどなあ。


「有言実行」系ねえ。


言うだけはタダだ。

「伴わない」のはとても痛い。



ついでに、そういう「上から目線」キャラは、ちょくちょく「私たち」という「幻の言葉」を多用する。

「私たち」って「誰と誰」??

あ、ある種の団体に嫌悪感を覚えるのはこの辺か?

キチンとしたスタンスが無いのに群れるってのは、不安感の解消だよねえ。


取り留めのない哲学的考察。

まあ、色々停滞中はこれに限る。



何しろ「半疑問」と「私たち」ってのは耳障りこの上ない。




おっと、昨日は「カーリング」が滅茶面白くて、「やってみたい♪」
今は、ジャンプで葛西が入賞。




さて、今日は美術展へ行こうと狙っている。

「好きなモノ」見たい。


今日の名言
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといえり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、賢き人あり、愚かなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様、雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。 「学問のすゝめ」1872年/福沢諭吉


(但しアーティストは除く・・・三毛猫追記)

「天才は1%のひらめきと99%の努力」(エジソン)ってのは、1%のひらめきがないヤツは、どんなに努力して頑張っても駄目だって事らしいよ。
スポンサーサイト


コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。